05メーデー
メーデー
メーデー(May Day
5月1日を指し、古代ローマの春の女神フローラをたたえる五月祭として、ラテン人やゲルマン人の間では何百年も前から祭典とされてきました。
現代では花咲く春の到来を祝う子供向けの祭りとなっています。
花で飾られた柱(メーポール)に繋ながれたテープを持ち、踊りながら柱を廻るのが慣例。
またメーデーは、世界的に労働者の祝祭日とされ、世界各地で開かれる、労働者の団結と連帯の祭典です。
1886(明治19)年5月1日、長時間労働に苦しむ米国の労働者が8時間労働を要求してデモ行進を行ったのが起源とされています。
かつてソ連をはじめとする共産主義国ではとりわけ重要な日でした。
ヨーロッパやアメリカの労働者の間で5月1日を祝日とすることが慣例となったのは、1889年、社会主義運動の国際阻織「第2インターナショナル」の創立大会で、労働者の祭典を5月1日に行うことを決め、90年に第1回国際メーデーが各国で開かれたことがきっかけです。
労働者の権利を守り、反戦を訴える運動として広がり、日本では1920(大正9)年が第1回。東京・上野で約1万人が参加して行われた。第二次大戦中の10年間は禁止され、1946年に復活しました。
5月(May)にちなみ、こう呼ばれますが、「休みを奨励している労働組合が、大型連休の真っ最中に労働者を動員するのはおかしい」との声が上がり、2001年から中央メーデーは連休の初日に開かれるようになりました。
メーデー事件
サンフランシスコ講和条約と日米安保条約発効直後の1952年(昭和27)5月1日、第23回メーデーで警官隊とデモ隊が衝突して、デモ隊に死者2人と負傷者千数百人をだした事件。「血のメーデー事件」ともいいます。
第2次大戦後、メーデー会場に使われていた皇居前広場の使用を、政府が前年に続き、52年も禁止しました。
メーデーは明治神宮外苑広場で開催されましたが、講和・安保条約の不満に加え、政府のこの措置に抗議してデモ隊が皇居前広場へ進入。
警官隊は、催涙ガスとピストルを使って実力行使を開始し、デモ隊に死者2人をだす大乱闘となり、1232人が検挙され、騒擾(そうじょう:騒乱)罪で261人が起訴されました。
1970年1月、東京地方裁判所は前半に警官隊の違法を、後半にデモ隊の騒擾罪を認め、93人に有罪の判決をくだしました。
72年11月、東京高等裁判所は騒擾罪は不成立として全員無罪の判決をくだし、事件は20年7カ月ぶりに終結。