13端午の節句
端午の節句
「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のこと。
後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになりました。
日本には、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられました。
すなわち、端午は元々女性の節句でした。
しかし、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであることから、鎌倉時代ごろから男の子の節句とされ、甲胄・刀・武者人形(五月人形)などを飾り、庭前に鯉幟(こいのぼり)を立てて、男の子の成長を祝うようになりました。
「菖蒲の節句」とも言い、古くから邪気を除くために菖蒲を軒にさしたり、ちまき、柏餅を食べる習わしがあります。
男児のいる家では鯉のぼりを立て、五月人形を飾って出世を祝います。
鯉のぼりは江戸中期に町屋で行なわれ、「黄河の急流の竜門を登った鯉は竜となる」といわれる鯉に立身出世を願って大空を泳ぐようになりました。
大宝律令制定の701年には朝廷により競馬(くらべうま)がおこなわれ、律令は端午節に節会を行うことを定め、平安時代には五節会の1つにかぞえられました。
江戸時代には幕府が五節供の1つに定めた端午節は、一般にも広く祝われて、次第に男子の節供となりました。
かしわ餅は、平安時代の「椿餅」が元の形、椿の葉を二枚餅の両面につけたものでした。
柏の葉は大きいので1枚で包むようになり、流行したのは江戸中期ごろとされています。
かしわの葉は若い葉が出ないと古葉が落ちないことから跡継ぎが絶えないという縁起に習ったものです。
ちまきは、古代中国の忠臣屈原(くつげん)の命日が5月5日で供養のために米を入れた竹筒を供えたのが始まりと言われてます。